■ 紹介
三鷹市テニス協会は、昭和38年市内所在の企業5団体により三鷹市硬式庭球連盟として創立され、昭和45年に三鷹市体育協会に加盟しました。 平成12年に三鷹市テニス協会と名称を変更し現在に至っています。 現在の加盟団体数は23団体 (SUBARU、
航空宇宙技術研究所、市民倶楽部、アラカルト、シルクテニスクラブ、野川クラブ、パワ-テニス、ハッピ‐リ‐フ、ポ-ラスタ-、ラトリエ、トパ-ズ、MITT、PST、MSTCGRID、新川倶楽部、すまあとステップ、ハニ‐ビ‐ンズ、つばさ、teamBYS、ホロノミ-ズ、COMRADE、PASSION++、)で会員数は528人です。
■ あゆみ
昭和37年頃までは、公営コ-トが少なく僅か一部の事業所にテニスコ-トがあり、数社が親善試合をしていました。 昭和38年4月これら5団体(日本無線、杉山産業、富士重工、三井金属、山水電気)で三鷹市硬式庭球連盟を結成し男子は団体戦 ・個人戦(単・複)と女子は個人戦(単)の大会を行いました。
その年の秋に船舶技術研究所が加盟し6団体となり、昭和42年に日鉄鉱業、航空宇宙技術研究所が加盟し8団体となりました。 昭和44年に都民体育大会に初出場し、その後、毎年参加しています。 当時、庭球連盟は事業所の団体だけで構成していましたが、市に市民から試合の参加申し入れや、初心者講習の要請が多くなり、三鷹市体育協会からも加盟要請があり、昭和45年に体協20番目の団体として加盟しました。体育協会加盟の年に市営コ-トが6面新設になり初めて連盟が市営コ-トを使える様になり、単・複の大会に市民参加が始まりました。 昭和51年から市民対象のテニス教室を毎年開催し、定着化してきたため昭和58年に企画指導部を発足させ、市民へのテニスの普及に努めてきました。
その後、テニス教室の仲間が集まり、市民の団体として「市民倶楽部」が発足し、団体戦や個人戦で優秀な戦績を挙げるトップクラスの団体に成長しました。 その結果、年を追うごとに団体へ入会が増え、昭和60年頃より連盟の組織が大きくなり、活動を分担制にして、広報、団体戦・シングルス戦・ダブルス戦・企画指導部・大会派遣担当、体協派遣理事等の事業部制を採用して運営に当たり、平成12年より、名称を三鷹市テニス協会に変更して、更なる発展を目指しています。
■ 年間行事
◇団体戦
発足時は各事業所のテニスコートを使用し、男子はト-ナメント戦の3セットマッチ(単4・複3)の試合で女子は、昭和47年から始まり、リ-グ戦の8ゲ-ム先取(単1・複2)でした。 現在は男子5部制の計25チーム、女子は4部制の計20チームを目標に、男子は(単3・複4)、女子は(単1・複2)で共にリーグ戦で熱戦を繰り広げています。
◇個人戦
昭和46年から市民体育祭スポ-ツ大会の一環として、ダブルス大会を開催しています。 昭和54年頃より女子と高年齢者の参加が多くなり45歳以上の壮年の試合も加えました。現在の種目は、男子A・B、女子A・B、混合(ミックスA・B)、シニア45歳以上、グランドシニア60歳以上、及びジュニア男・女の10種目を行っています。 また、シングルス大会も同様な種目で開催しています。
◇対外交流
対外試合として近隣の5市(武蔵野、小金井市、国分寺市、府中市、調布市)と親善試合を行い各市との親睦を図っています。
◇派遣事業
派遣競技として都民体育大会、都民生涯スポ-ツ大会、東京都市町村テニス協会主催の団体戦(市町村対抗庭球大会、市町村対抗女子テニス大会)・個人戦(市町村テニス選手権大会)に派遣し、それぞれ立派な戦績を上げています。
◇初心者テニス教室
昭和51年に市民の要請から第一回のテニス教室を開催し100名を超す多くの応募者があり、日曜日に新川テニスコ-ト3面を使い2日間開催しました。以来毎年開催し定着化してきたため昭和58年に指導部を発足させ対応してきました。平成3年頃からは、初心者テニス教室(体育協会後援)として平日にテニス教室を開催し女性の応募が多く、その後、平日参加出来ない方のため、土曜日(親子で参加を)にも開催し、テニスの普及に努めています。
◇ジュニア育成硬式テニス教室
ジュニア育成地域推進事業というものを知り、平成27年に、三鷹市体育協会に申請して、市民(小学生5年生~中学生)を対象とした、ジュニア育成硬式テニス教室を、夏休みを利用し計5回行っている。
◇シニア健康硬式テニス・ダブルス大会
シニアスポーツ振興事業の助成金を体育協会に申請し、高齢者の健康維持・増進に寄与するため、60歳以上の市民を対象に募集を行い、ペアーは当日抽選によって決めている。