昭和30年冬の八ヶ岳で三鷹市民の遭難事故がきっかけとなり、単一の山岳会では対応が困難とのことで三鷹市民の遭難事故防止と救助活動の組織化について、当時の「三鷹市登山とスキーの会」が中心となり三鷹市長・教育委員会等の提唱により市内の主な事業所山岳部5団体「富士重工」「日本無線」「天文台」「市役所」「プリンス自動車」で「三鷹市山岳連合会」を結成しました。
しかし現在は、事業所移転・山岳部休会など構成団体の減少による要因・技術不足および救助体制組織がなくなったことから遭難救助活動は全く行っていませんが、登山教室・ハイキング等での遭難事故防止の啓蒙活動行っています。またほかに、三鷹市スポーツ協会事業への協力、各団体独自の山行を楽しんでいます。

